大阪高等裁判所 昭和40年(う)315号 判決 1965年5月29日
被告人 大塚嘉男
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月に処する。
原審における未決勾留日数中二三〇日を右本刑に算入する。
押収にかかる山刀一丁(当庁昭和四〇年押第八八号の一)は、これを没収する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人谷口義弘作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第一点及び第二点について
論旨は、被告人は殺意はなかつた、といい、又被告人の本件所為は正当防衛ないし過剰防衛又は誤想防衛行為である、といつて事実誤認を主張するのである。
よつて案ずるに、原判決挙示の証拠を綜合すると、被告人は友人門斉信夫運転の自動車に乗車し狩猟から帰宅中、午後六時頃原判示幅員約三メートルの狭い道路上にさしかかつた際、一台の小型四輪貨物自動車が駐車していて進行できないため、門斉が自車のクラクシヨンを鳴らしたところ、付近の人から右自動車の運転手が原判示河原林隆方にいることを聞き、門斉と共に歩いて近くの河原林の家に行き、門斉が穏やかに自動車を退けてくれるよう頼み込むと、同家で河原林らと飲酒中の運転手市村忠が奥から出て来て、いきなり「やかましくいうな、バツクしたら通れるやないか」と無茶なことを言い出したので、被告人や門斉が「そんなことをいわんで早く退けてくれ」と言つたところ、市村が大声で「なに、文句があるか、どづいたろうか」などと怒鳴りつけ、河原林も「なにいうてんねえ、やかましういうな」と言つて同人らが威圧的な態度を示すので被告人や門斉もいささか腹が立ち、門斉が「お前らが怖くて国道が走れるか」と言い返し、被告人も「どづくもんなら、どづいてみろ」と言つて同人らと口論しながら門斉、被告人河原林及び市村の順で河原林方前の路地を歩いて自動車の駐車している道路まで来たこと、そして門斉はエンジンをかけるべく自車の運転席に入り、被告人は門斉の自動車のほうへ歩き市村も自車を退けようとして自車運転席のドアーを開けようとした状況にあつたところ、突然河原林が被告人のところに来て「話をつけたるこつちへ来い」と言い寄り、更に市村も同所に来て両名で被告人を近くの自治会集合所の西側広場に連行しようとしたのであるが、被告人は当時同人らと喧嘩するつもりはなかつたものの、仕方なく同人らに連れられて同広場の方へ歩いていると、いきなり同人らから手拳で顔面を連打され、更に河原林から道路端の垣根に押し倒される等一方的に攻撃を加えられ、被告人は顔を両手で被いなんらなすことなく右暴行により帽子や近視用メガネがふつ飛び、唇は切れ、口や鼻からは出血する状態であつたこと、一方、車内から被告人が殴られている状況を見て驚いた門斉は、被告人を助けるべく、車から飛出し、市村の背後から同人にタツクルをかけて被告人から引き離したところ、今度は市村が門斉に襲いかかり、門斉の顔面等を殴打し、門斉も防戦するだけでなんら攻撃行為に出ていないこと、河原林は被告人を垣根に押し倒した後それまで門斉に立ち向つていた市村のところへ行き、今度は河原林と門斉が相対峙することになつたため、市村が被告人に攻撃を加える形勢となつたのであるが、被告人は相手方両名から前記の如く一方的なひどい仕打ちを受けたため立腹し、これ以上無抵抗に終始していたのでは殴り殺されるかも知れないと思い、同人らに反撃を加えて自己を防衛しようと考え、右腰にさしていた狩猟用山刀を右手で抜き取りながら立ち上つたところ、市村が被告人のほうに向つて来て襲いかかろうとしたので、とつさに同人が死んでもやむを得ないと考え、右山刀で同人の左脇腹を突き刺し、原判示の如く同人を死亡させたことが認められる。
被告人は司法警察員に対し確定的殺意のあつたことを自白しているが、この点は被告人の検察官調書に照らし全面的に措信できない。しかしながら、被告人に右の如く未必的殺意のあつたことは、本件兇行に使用した兇器の種類、形状、兇行の方法及び傷害の部位程度等からして容易に推測できるのであつて、所論の点を十分考慮しつつ検討を加えてみても、当時被告人に未必的殺意がなかつたとは証拠上認められない。
ところで、原判決は原審弁護人の正当防衛ないし過剰防衛の主張に対し、本件は「まさしく、二対二で互いに侵害行為を交換する喧嘩斗争であつたというべく、しかも被告人が市村に対して本件犯行に及ぼうとした際市村は被告人と相対してはいたが、被告人から稍々離れた位置にあつたもので、直ちに被告人に襲いかかるような体勢にはなかつたと認められる。仮りに攻撃をしかけてくるような体勢が見えたとしても、これはむしろ喧嘩斗争の性質上当然予想できることであり、かつ被害者側は終始素手をもつて斗争行為に出ていたものであるからこのような場合には特に攻撃方法に特異なものが加わる等特段の状況が存しない限り正当防衛は成立せず、従つて過剰防衛も成立しない。」という理由で弁護人の主張を排斥しているのである。しかしながら、相手方が棒切れのようなものをもつて被告人に襲いかかる状況であつたとは証拠上確定できないところであるが、前記の如き本件所為に至るまでの経過、相手方の攻撃の内容及び被告人側は相手方の攻撃を防ぐのが精いつぱいでありなんら攻撃行為に出ていないこと等の状況からすれば、多少の口論があつたといえ原判決のいうように、二対二で互いに侵害行為を交換する喧嘩斗争であつたとは言えず、又被告人の本件兇行がなかつたならば、更に相手方の攻撃行為が継続することは全般からみて極めて明らかであるから、前記認定のとおり、それまで門斉に立ち向つていた市村が今度は被告人のほうに向つて歩いて来たのは、被告人に攻撃を加えるのが目的であり、たとえ同人が素手であつても急迫不正の侵害に当たるといわなければならない。この点に関し、被告人の検察官調書には、被告人が山刀を右手に持つて立上つてから、二、三メートル離れたところにいる市村のほうへ歩いて行つた旨の記載があるが、この記載は被告人の司法警察員に対する供述調書に照らし容易に措信できない。
ところで、喧嘩斗争とみられる場合においても、それを全体的に考慮して正当防衛を認めることができる場合があるのであつて、(昭和三二年一月二二日第三小法廷判決参照)その場合専ら防衛の意思のみに出たことを必要とするものではなく、他に附随的に攻撃意思が併存していても、それが防衛意思に比して主たるものでないかぎり正当防衛行為というに妨げないと解するを相当とするところ、本件についてみると、被告人は前記認定のように被害者らから一方的に度重なる暴行を受けて立腹し、更に危害を加えられようとしたのでこれに立ち向つたのであるからこの点から考えるといわゆる喧嘩斗争とみられないことはないが、本件を全体的にみて仔細に検討すると本件兇行は憤激による攻撃意思によつたというよりはむしろ加害者の攻撃を排除して自己の身体に対する危害をさけようとする防衛意思のほうが強く働いてなされたものであることが認められる。ただ加害者が素手であつて、自己の生命に危険を感ずる程強いものであつたとは認められないから、前記山刀で刺す所為に出たのは防衛のため必要かつ相当の限度をこえたものといわなければならず、被告人の本件所為は過剰防衛行為と認定するのが相当である。所論は被告人の所為は誤想防衛行為であると主張するが、本件につき急迫不正の侵害が存在していたことは、すでに説明したとおりであるから、右主張はその前提を欠き失当である。さればこれと異なり、被告人の本件所為につき過剰防衛行為であることを否定した原判決は、結局事実の認定を誤つたもので、その誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れず、論旨はこの限度において理由がある。
よつて量刑不当の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により次のとおり判決する。
罪となるべき事実
原判決の罪となるべき事実中「その場に押し倒されたりしたので……同人の左脇腹部を突き刺し」とある部分を「その場に押し倒され、更に右市村が被告人のほうへ歩み寄り暴行を加えようとしたので、憤激の余りかつ自己の身体を防衛するため場合によつては同人が死んでもやむを得ないと考え、とつさに所携の狩猟用山刀(刃渡り一四、五センチメートル、刃幅三、五センチメートル、当庁昭和四〇年押第八八号の一)で同人の左脇腹部を突き刺し」と訂正し、末尾に「右被告人の所為は防衛の程度をこえたものである。」とつけ加えたほか原判示と同一であるから、これを引用する。
証拠の標目(略)
法令の適用
法律に照らすと、被告人の本件所為は刑法一九九条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、右は過剰防衛行為であるから、同法三六条二項、六八条三号により法律上の減軽を施し、本件犯行の動機につき被告人に酌量すべき情状は認められるが、未だ被害者の遺族に対してなんら慰藉の方法を尽くしていないこと等の事情に照らし、右刑期範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、原審未決勾留日数の本刑算入につき同法二一条、没収につき同法一九条一項二号二項、原審訴訟費用の負担免除につき刑事訴訟法一八一条一項但書を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 笠松義資 八木直道 荒石利雄)